臨時休校に想うこと

 

ココカラのある学区の小学校で、児童に感染が確認されたことを受け、5月も末の火曜日から臨時休校。当初は金曜日までのところが延長となり、さらにもう一週間。約2週間の臨時休校でありました。

 

もはや保護者にとって学校はライフライン。電気、ガス、水道が止まるのと同じくらい、日常生活が回らなくなる。

とにかく児童の安全を確保するため、今回は学童・学区子どもの家も完全閉鎖。


 

1000人ほどの児童が在籍するマンモス校。濃厚接触者の特定にも時間はかかる。保健所の指示に従って対応しています、個別連絡のない方はご安心ください、と一斉メールを発しても、学校への電話は鳴りやまず、学童はあけてくれと取り乱す人たち。

 

どうにも手が打てない家庭環境の方の胸中も、職務上焦りが止まない人も、どうにもできな時間を過ごす学校も、先生個人が不安なのも、みんなみんな同軸にある。口に出す前に、一旦飲み込んで、その人に言えば解決するのか?って考えてみよう。きっと相手も同じ気持ちだってことに気が付く。せめられる人は存在しないはずなんだよね。

 

【うつされる】そっちの立ち位置ばかりに意識がいくと、人は冷静さを欠く。いつ自分が【うつす】かもわからないのに。その表現自体もすきではないけれど。

 

学区外からの無根の噂に惑わされ、感染児童の詮索に躍起になる大人たちよ。あなたの子どもがその立場になったとき、あなたのやっていることが自分の子どもに向くのだよ。そして、そんな親の在りようをこどもは見ている。良いことも、そうでないことも、すべては自分に還ってくる。

想像性を欠いだその行為の積み重ねが、苦しい社会に拍車をかける。

そんな中で子どもたちは生きていかねばならないこともわすれてはいけない。

そんなことを感じた臨時休校だった。

 

 

学校再開初日は全校で人権について学んだそう。

子どもたちは

『すごく大切なことを言っていたよ。あれはね、大人も見たほうがいいよ!』

と言っていた。子どもの一言はいつもど真ん中。

広がることもなく、安心安全な学校再開に尽くしてくれた学校から、お詫びと経緯と対策強化の文言が綴られたお便りをもらってきた。

誰も悪くない、学校が詫びることでもないのに詫びなきゃいけない社会の矛盾。

高学年に特に、なんだか気分が優れないと心の不調を訴えた子が多くいたそう。

いきなりのフル授業に宿題もずらり。

休校中、タブレットは持ち帰ってもオンライン朝の会で顔合わせだけの活用におわった。いまの先生たちにそこまでの仕組みをつくる余裕がないのは言うまでもないね。

 

このしわ寄せに、再び小さく未熟な子どもたちの心は煽られる。

さらなる感染対策強化。学校も仕方ない、色んな親がいるからね。

でもちょっと子どもの心に触れる部分も欲しかった。

 

なぜ?

 

それが一番みえないものだから。